手引きの輪

1990年ごろ、ボランティア協会や社会福祉協議会を通じて、「他府県から京都へ行きたいという視覚障がい者がいるが、対応してもらえないか?」という問い合わせがいくつか寄せられました。そのうちのひとつに、数人の視覚障がい者が泊まり込みで京都観光を楽しみたいという希望があり、会員内で対応できる人を募って、宿泊も共にする形で引き受けたことがあります。とても喜んでいただけましたが、あくまで一時的な対応であり、正式な活動として位置づけたものではありませんでした。

観光都市・京都において、入洛する視覚障がい者を受けとめる体制をつくっていかなければという思いは常に心の片隅にありましたが、当時の活動は手一杯で、新たな分野にまで手を広げることは難しい状況でした。

そんな中、「全国の手引きボランティアが集まり、活動を始めよう」という機運があることを知り、京都で手引き関係のサークルが集まって、奈良の「歯車の会」を訪ねました。ここでの話し合いがひとつのきっかけとなり、その後の集会では、私が司会をつとめることになりました。

1991年2月10日、奈良にて「視覚障害のネットワーク=ひろがれ!盲人手引きの輪」というテーマのもと、青年奉仕協会として初めて、視覚障害に関する分科会が開催されました。

最初の事例発表では、兵庫ボランティア協会・点字110番のKさんが、「グループや個々の会員の特性を引き出しながら、県内30数サークルをネットワークし、多様なニーズに応えるコーディネートを行っている」という力強い報告をされました。続いて、歯車の会のAさんからは、10年近い実績をふまえた行動力あふれる報告がありました。

話し合いには、秋田から福岡まで、約30名が参加し、各地の活動報告や現状の課題について活発な意見交換がなされました。主な論点は以下のとおりです。

  1. 公的ガイドヘルパーと民間ボランティア活動の役割の違いと連携の在り方
  2. グループそれぞれが持つ個性を生かしつつ、共通の接点をどのように求め、ネットワークを進めるか
  3. コーディネートの役割をどこが担うのか
  4. ボランティアは本当に「目」のみを提供し、視覚障がい者はヘルパーに「甘え」を求めすぎてはいないか
  5. 対象者を一定の枠に限定しがちではないか。本来、手を差し伸べるべき人がもっといるのではないか
  6. 受益者負担についての考え方

各地で活動している方々の熱意に満ちた発言が続き、大変有意義な場となりました。

この集会を契機として、1996年11月に9つのグループで設立されました。
全国視覚障害者外出支援連絡会(JBOS/Japan Blind person Outdoor Support association)が、名称は「Japan(J)」「Blind(B)」「Outdoor(O)」「Support(S)」の頭文字をとっており、「ジェイボス」と呼ばれています。

当時、盲福研は他府県からの視覚障がい者を正式に受けとめる活動を行っていなかったため、この設立時には登録せず、2008年の「おこしやす京都」活動を機に登録しました。その時点では、33のグループがJBOSに参加していました。

このJBOSは、各グループのメンバーの高齢化や、公的な同行援護の事業範囲が当初より広がってきたこともあり、一定の役割を果たしたものとして、2024年末をもって解散となりました。

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