3.ユニス
盲導犬協会を訪れたとき、訓練中の犬の中に「ユニス」という少し変わった名前の犬がいることは知っていましたが、まさかその犬が3頭目の盲導犬として我が家にやって来るとは思いもしませんでした。ユニスは、ハピネスよりも少し大きめのオス。白に近いベージュ色をしていました。
ユニスとの初めての旅行は北海道でした。朝日放送「おはようパーソナリティー 道上洋三です」で、リスナー向けの北海道ツアーの案内があり、応募したところ、まさかの当選。盲導犬ユーザーであることを伝えたところ、JTBの方から「できる限りの対応をさせていただきます」との心強い返答をいただきました。
2005年5月、伊丹空港から飛行機で北海道へ。観光先のひとつである旭山動物園からは「盲導犬は園内に入れない」との連絡があり、当日は園の事務所でユニスを預かってもらい、私は歌人と一緒に園内を回りました。戻ってくると、ユニスは大きな長椅子の上で実に気持ちよさそうに寝そべっていました。この「盲導犬の入園拒否」については、全国盲導犬使用者の会などにも問題提起し、その後、園内同伴が可能になりました。
この旅行では乗馬体験もあり、私は5分間ほど馬に乗るという貴重な経験をしました。ユニスは馬に強く反応したため、このときも事務所で預かってもらうことに。以後、乗馬体験ができる場所を探し、東北などにも何度か出かけましたが、ユニス以降の盲導犬たちは馬に対して特に反応することもなく、静かに見守ってくれました。
北海道ツアーでは観光バス5台が道内を巡りましたが、私が乗車したバスには30人ほどの乗客がいました。JTBの方が事前に全員に「盲導犬が同乗しますが大丈夫ですか」と確認の連絡をしてくださっていたそうです。私は一番前の左側の席を用意していただき、先に降りて最後に乗車するという流れで、皆さんの配慮に助けられながらの旅でした。
2007年には、家族で熊野古道を訪れました。登りは順調だったのですが、自分の体力ではこれ以上の上りは無理だと判断し、引き返すことにしました。いざ下り始めると、その坂道の急なこと。握った棒を頼りに一歩一歩足を下ろしていく私を、ユニスは家人の顔を心配そうに見ていたそうです。あとで私はこの体験を「熊野古道」ならぬ「胸の鼓動」だったと笑って語ったものです。
しかしこの熊野古道での体験が一つのきっかけとなり、数日後、ユニスに潜在していた癲癇(てんかん)の症状が現れました。同じ犬舎出身の犬にも同様の症状が出ていたと聞いています。訓練センターには、少なくともそうした傾向がある場合には、貸与時にユーザーへ説明しておくべきだと申し出ました。幸いにもその後は同様の発作は起こりませんでしたが、横断歩道の途中や車の乗り降りの際に発症していたらと思うと、背筋が冷たくなります。
同じく2005年、全国盲導犬使用者の会の15周年記念イベントとして、「盲導犬と一緒に東海道ウォーク」が実施されました。京都から東京まで、各地のユーザーがリレー形式でバトンをつなぎながら歩くという取り組みで、京都・三条大橋からのスタートを京都ハーネスの会が担当しました。私は大津までの約12kmを歩きましたが、山科を過ぎたころから土砂降りの雨に。参加していた4頭の盲導犬は、訓練センターのスタッフの車に乗せてもらうことになりました。後にこの行事に同行していた協力者から、「なぜ“全行程を盲導犬が歩いた”ということにしなかったのか」と抗議のような声をいただきましたが、「盲導犬は翌日からも視覚障がい者の目として活動しなければなりません。無理をさせて体調を崩してはいけないとの判断です」と説明しました。どこまで理解してもらえたかは分かりませんが。
ハピネスのパピーウォーカーであり、リタイア後のボランティアをしてくださったAさんご夫婦は、引退したハピネスを連れて私たちの家にも訪ねてきてくださったことがありました。私たちもまたユニスを連れてAさん宅を訪ねました。そうした何度かの交流のなかで、ユニスはすっかりAさんのお父さんを気に入ってしまい、「ユニス、引退したら来るか」と声をかけていただいたこともありました。
盲導犬としての晩年、ユニスは腰痛を抱えるようになり、動きが鈍くなっていきました。リタイア後は口の中が荒れてしまい、十分に食べられず痩せ細ってしまいました。火葬のあと、骨上げのときに現れたユニスの頭骨に手を触れながら、「この大きな頭に、たくさんの情報がインプットされて、私を支えてくれたのだ」と思うと、込み上げてくるものがありました。