1970年、盲福研の発足

「与える者」と「与えられる者」

立場から生まれる人と生まれない人との関係には、しばしば「与える側」と「与えられる側」という構図があります。けれども、それは本当に望ましい関係なのでしょうか?

「障がい」を個人の問題ではなく、社会のあり方の中で捉えるならば、当事者・非当事者という枠組みを越えて、「ともに」考え、「ともに」行動することが必要ではないでしょうか。そして同じ目標を見据えて、一緒に歩んでいく――そのような思いから、活動が始まりました。

集まったのは、視覚障がい者と晴眼者、10数名の若者たち。会の名は「京都盲人福祉研究会」、通称「盲福研(もうふくけん)」です。

スローガンは、「晴・盲一体」。

晴眼者と視覚障がい者が対等な関係で活動に取り組み、「見える」「見えない」の間にある壁を越えて、誰もが等しく社会の一員として生きていける社会を目指しました。

この「与える/与えられる」という関係について、私自身がつくった話があります。
―ある夜、真っ暗な道を歩いている人に、提灯を持った人が「足元を照らしましょう」と寄り添ってくれる。「ありがとうございます」と心から感謝し、手助けした側も「役に立てて良かった」と思う。こうした人間関係は、たしかに大切なものです。

でも、いつも近くに提灯を持っている人がいるとは限りません。では、誰もが安心して夜道を歩けるようにするには、どうすればよいのでしょうか?

――答えは、街灯をつけることです。

街灯があれば、誰もが自分の力で安全に歩くことができる。そのために、「照らす側」「照らされる側」という区分を越えて、みんなで協力して街灯を設置する。そこには、もはや「与える」「与えられる」といった関係はありません。

とはいえ、ボランティアとして関わろうとする多くの人が、「やさしい気持ちで関わりたい」と願ってくれています。その気持ちは尊いものです。ただ、それを超えて、社会の構造に目を向け、「提灯から街灯へ」と意識をシフトしていくことが、いま求められている。

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