藤田氏講演

メインテーマ:これからの生と死を考える

講演テーマ:福祉の原点を問う

本会の会員であるSさんは、病と闘いながらも若くして亡くなられました。Sさんは生前、遺言として検体提供を申し出ておられました。

また、同じく会員のG君は、郷里で角膜移植を受けたいと願っていましたが、その機会に恵まれず、全盲のまま学業のため京都に出てきました。移植の順番を待つなか、ようやくその願いが叶い、術後、「星がこんなにきれいなものだったのか」と語りました。角膜移植は、提供者がいてこそ成り立つものであり、その命のリレーが社会の中でつながれていくことを実感したできごとでした。

一方で、1981年の国際障害者年を契機として、障害者の権利や社会参加への関心と活動が国際的にも国内的にも高まったと言われています。しかし、現実はどうだったのでしょうか。

こうした問題意識を持っていた頃、朝日新聞の藤田論説委員による連載「盲と私たち」を目にし、同氏が『脳死の時代』や『植物人間』などの著書を執筆されていることを知りました。点字メニュー運動で親しくなったT記者を頼りに、朝日新聞支局長を訪ね、「藤田先生を招いて市民講演会を開きたい」と申し出たところ、快く協力を引き受けてくださいました。

願いは実を結び、1984年、朝日新聞大阪厚生事業団との共催で市民講演会を開催。京都府・京都市、京都府社会福祉協議会、市社会福祉協議会、教育委員会など、多くの後援を受け、京都会館会議場には280名の市民が参加しました。この中には、障害のある方や一般市民のほか、藤田氏の呼びかけにより京都大学の解剖学の先生方の姿も見られました。

当日、藤田氏は「福祉の原点を問う」という講演の中で、次のように語られました。

「福祉の原点とは、“人の生命を大切にする”という一点に尽きると思います。
私なりの答えはこうです。
『いつ、いかなる場合でも、誰の命であっても、それを“目的”として大切にしなければならない。決して、“手段”として考えてはならない』ということです。

私が常に心がけているのは、『自分自身の身に引きつけて考える』ということです。
つまり、もし自分がその当事者だったら、どうしてほしいのか。逆に、どうしてほしくないのか――それを考えるようにしています。」

さらに藤田氏は、「死」は個人の終わりではなく、他者や社会と関わる営みの中にあると語りました。事故死などの突然の死もまた、臓器提供や検体提供を通して他者の命とつながる可能性を持つことから、
死は決して「自分だけの問題」ではなく、社会全体に問いを投げかけるものであると指摘されました。生きることと死ぬことの意味を、他者との関係性の中で見つめ直すことの大切さを、静かに、しかし深く訴えかけられていました。

講演会の後半には予定時間を超えるほど多くの質問が寄せられ、会場全体が深く考える時間となりました。

その後、夕食をともにしながらの懇談会が開かれ、藤田先生からは次のような話題も出ました。ハンセン病による視覚障がい者が日本にも存在するなか、WHO(世界保健機関)は1980年代より「ハンセン病は治る病気であり、隔離の必要はない」と明言しています。しかし日本国内では、依然として旧態依然とした対応が残っており、国際基準とのギャップが際立っている――と。

先生からは、「そうした問題にも目を向けていってほしい」と励ましの言葉をいただきました。実際に取り組むには至りませんでしたが、その言葉は今も強く心に残っています。

講演会を通じて、何よりも深く心に刻まれたのは、藤田先生の「自分自身の身に引きつけて考える」という姿勢でした。

なお、ハンセン氏病については、その後の社会的な取り組みにより、現在では隔離は行われておらず、患者・元患者の人権回復に向けた歩みが続けられています。

ページの先頭へ