視覚障がい児の教育をめぐって
専門機関としての盲学校と地域校での学び
1976年、京都ライトハウスに視覚障がい乳幼児母子通園事業「あいあい教室」が開設されました。
視覚の発達に不安があったり、視覚に障がいのある乳幼児とその保護者を対象とした教室です。
当時、盲学校では児童数の減少が進む一方で、視覚障がいに加えて他の障がいを併せ持つ「重複障がい」の子どもが増え始めていました。一方で、視覚障がいだけをもつ子どもたちの中には、「地域の学校で学びたい」という声も出てきていました。
1984年には、「視覚障がい児教育の現状」「これからの盲学校を考える」などをテーマに、盲学校の先生とあいあい教室の職員、保護者、盲福研会員が話し合う機会が持たれました。
私たちとしては、盲学校が視覚障がい児教育の専門センターとして、より深く広くその機能を発揮していくことを願っていました。
地域校での挑戦——Aくんの場合
1985年、全盲のAくんの保護者から「地域の学校で学ばせたい。点字教科書の作成をお願いできないか」という相談を受けました。
当時、盲学校に通う児童には点字教科書が保障されていましたが、地域校に通う子どもには墨字教科書しかなく、点字教科書の保障はありませんでした。この取り組みは全国的にも珍しいもので、会としても迷いはありましたが、点字教科書作りを通して会員自身が視覚障がいへの理解を深めるとともに、将来的な「教科書保障」につながると考え、思い切って引き受けることにしました。
国語・算数・理科・社会の4教科を、約20名の点訳者で分担。図やグラフのある科目では、触ってわかる立体的な表示を工夫し、また本人の希望で漢字も立体的に作成しました。
地元の学校はAくんの受け入れに際し、以下のような基本方針を出しました。
- 保護者の強い要望により受け入れるが、基本的には盲学校が適切と考えている
- 登下校は保護者の責任で行うこと
- 白杖の携行を求める
- 行事や学習によっては保護者の付き添いをお願いすることがある
- 学校の設備や指導体制は視覚障がい児に十分ではないため、市教委に相談してほしい
- 安全面にはできるだけ配慮する
1年半が経過した頃、担任と話す機会がありました。担任はこう語りました。
「40人の中の1人として関わる際、どれほど彼に満たされる体験を与えられるかは課題。準備や対応には他の子の3〜5倍の時間がかかる。点字も勉強した。彼にはやはり盲学校の方が良いと思う。」
しかし、「見えないこと」への対応を重ねる中で、「必要な支援体制と環境さえ整えば、地域校でも十分に教育可能だ」という手応えも得られたようでした。
中学校からの挑戦——Bさんの場合
Aくんと同学年のBさんのご家族も、「中学校からは地域校で学ばせたい」と希望し、教科書点訳の協力を依頼してこられました。Bさんは盲学校で6年間、担任と1対1の授業を受けてきたとのことでした。会では検討の上、引き受け、英語を含む5教科の点訳を行うことになりました。
後日、Bさんのご家族が例会に参加され、お話を聞くことができました。
- Bさんは元気に中学校へ通い始め、家庭でも学校の話題が増え、明るくなった
- 各教科の先生が点字に関心を持ち、数学では点字問題を作ってくれるようになった
- 吹奏楽部でクラリネットを担当し奮闘しているが、練習時間が多く他の課題に時間を割くのが難しい
- 地図作りの宿題などに1週間かかることもあり、父親としては悩みどころ
- 視覚障がいへの対応として、先生に「声に出して板書してください」と自ら求められるようになった
- 体育でも工夫された授業を受け、運動会ではクラスメイトと100m競走を走り抜いた
- 掃除なども仲間と協力し、友達の目を借りながら活動している
「学校を変えることは大きな決断だったが、それが社会を変えるきっかけの一つになればと願っている」とご両親は語られました。
現在の状況
現在では、地域の学校で学ぶ視覚障がい児も増え、大学に進学する人も少なくありません。
拡大文字教科書や点字教科書、点図(触ってわかる地図)なども、必要なものはボランティアグループが作成し、行政が買い上げて提供する体制も整いつつあります。
日常的なプリントや急ぎの書類対応は、今も保護者や担任が担う場面が多いですが、パソコンによる音声読み上げ機能などにより、情報環境は大きく改善されました。
一方で、盲学校は「特別支援学校」となり、多様な障がいを併せ持つ子どもたちの教育機関としての役割が大きくなっています。地域校には特別支援学級の担任が配置されるようになりましたが、専門性のある教員の質・量ともに、なお課題を残しています。