ユニーズとして新たな一歩を
2000年、盲福研は30周年を迎え、これまでの活動を支えてくださった関係者への感謝と、今後の活動へのご支援をお願いする意味を込めて、集まりを開催しました。当日は、ライトハウスの主事や京視協の役員、社協、ボランティアセンターの職員、そして発足当初に会員として活動していた懐かしい顔ぶれと、現会員が一堂に会しました。元会員で、現在は日本ライトハウス職員のK氏には、「視覚障がい者の現状」についてご講演いただきました。夕食をともにした懇親会では、視ボ連のメンバーや、ひまある会で親しんだ仲間も加わり、計48名が和やかなひとときを過ごしました。
その頃、ライトハウスは全館建て替えの時期にあり、水曜例会も一時的に仮設の建物で行うことになりました。会員の入れ替わりも多くなり、やがて新しい建物に戻ってみると、部屋は広くなった一方で参加者の顔ぶれは少なくなっていました。
2004年、新たに入会した会員の中にホームページに詳しい方がいたことから、本会のホームページを立ち上げようという話になりました。その際、「盲福研」の「盲」という文字が気になるという意見があり、新しい名称を考えることになりました。悩んだ末、私が一緒に歩いていた盲導犬「ユニス」の名にちなんで、「you needs(あなたに必要なもの)」という思いも込めて「ユニーズ」と名付けました。その後、「京都」の名も加える声があり、正式には市民ボランティアグループ「ユニーズ京都」として新たに出発することになりました。
しかし時代の変化により、夜に毎週集まる例会の継続が難しくなり、また点字教室という当初の目的も薄れつつあったことから、35年間続けてきた「水曜例会」を終了することとなりました。今後は、第2・第4土曜日と第3日曜日に講座を開催し、点字や誘導に関する市民向けの学習会を継続することとしました。
1981年から取り組んできた「点字・拡大文字メニュー運動」も、メニューの更新ごとに対応する店舗が減少しており、活動のあり方を再検討すべき時期に来ています。希望する店舗は減っているものの、百貨店など継続的に協力してくださるところもあり、点訳者の不足は他の点訳サークルの有志の方々の支援により、何とか補ってきました。
とはいえ、こうした“守り”の活動を続けるだけでなく、かねてより構想していた「おこしやす京都」活動を、会の活性化のためにも本格的に進めようという機運が高まりました。
会員間で話し合いを重ね、活動できる人材を育てる講座のあり方を検討し、長年ガイドヘルパー活動を続けてきた元会員のT氏にも協力をお願いしました。また、ひと・まち交流館のボランティアセンターにもご協力を依頼し、2008年1月からの講座開講に向けて、PR活動を開始しました。