点字教室 —— 視覚障がい者を知り・理解する窓口として

1971年、「視覚障がい者のことを多くの人に知ってもらい、理解を深めてもらいたい」「盲福研で一緒に活動できる仲間を見つけたい」という思いから、ユニーズは点字教室を開講しました。

当時は、一般的に「視覚障がい者=点字」というイメージが根強く、何かボランティアを始めたいと考える人々にとって、点字はその入り口となっていました。

毎週水曜日、午後6時から8時まで、京都ライトハウスで35年間にわたって開講。高校生、看護学校や専門学校の学生、仕事帰りのサラリーマンやOL、夕食時にもかかわらず参加する主婦の方々など、幅広い層が集まりました。

当初、主催者としては前半を点字の学習に、後半を視覚障がい者の生活や課題について知ってもらう時間にしたいと考えていました。しかし、受講者の関心は点字の仕組みやルールに集中し、後半の時間がなかなか取れず、もどかしい思いをすることもありました。

やがて、市の委託による点字講習会も始まり、そちらを受講してから教室に来る方、あるいは教室で学んだ後に市の講習を受ける方も増えていきました。その結果、一定の点訳レベルに達した人が多く現れるようになりました。

点字学習の後半に視覚障がい者の実情を伝える工夫として、月1回「ゲストコーナー」を設けました。ライトハウスの各部署の職員、社会福祉協議会などの関係団体の方々、他の障がいに関わる方(手話通訳者、車いすユーザー、福祉用具販売員、アイバンクの職員など)に話していただき、質疑応答も交えたこの時間は、想像以上に活発で熱心なやりとりが行われました。

点訳活動

点訳の一定レベルに達した方々には、活動の場が必要です。教室では、依頼に応じて点訳活動を行い、プライベートな依頼としては、聖書や漢方に関する資料など、京都以外からの依頼もありました。点字用紙代は依頼者が負担。盲学校の図書館には児童書も届けました。

また、京都市バスの「千本北大路」周辺のバス停の時刻表を点訳し、誰でも見られるよう、ライトハウスの事務所に吊り下げておくなどの工夫も行いました。

パソコンもなく、音声情報もまだ十分ではなかった時代。毎水曜日、「ミドルウィーク」と名付けた点字小冊子を作り、ライトハウスロビーに置いて、最新のコンサート情報や週刊誌の記事などを紹介し、新しい情報発信にも取り組みました。

1980年以降は「点字メニュー」運動や、地域の学校に通う視覚障がい児の「教科書作り」、外大で学ぶ視覚障がい学生の要望で英語点訳にも取り組み、
多忙な日々が続きました。

2000年以降、パソコンの普及やCDによる録音資料の流通が進み、情報提供の手段やスピードが大きく変化。点字の役割も変わってきました。

それに伴い、点訳の内容も一般的なものから、専門的なものへと移行していきました。

こうした時代の変化の中、「点字教室」は2005年に閉講することにしました。

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