1.エド —— 最初のパートナーとの日々
1984年、関西盲導犬協会の訓練士から「盲導犬について」の話を聞き、短時間ではありましたがハーネスを持って体験歩行もさせてもらいました。「自分もチャレンジしてみようかな」と心が動きました。
自宅から勤務先の病院までは、白杖でも5~6分の距離でしたが、当時の道は狭く、歩道と車道の区別もあいまいで、危険も多く感じていました。安全と利便性を考え、盲導犬ユーザーになることを決意し、勤務先の院長にも相談のうえ、訓練のための休暇を得ることができました。私は、関西盲導犬協会として7人目のユーザーとなりました。
盲導犬の名前は、生まれた「帯」に応じて頭文字が決まり、私に与えられた犬の名前は「エド」。その名前を聞いたとき、思わず笑ってしまいました。というのも、1980年代にテレビで放送されていた、しゃべる馬「ミスター・エド」を思い出したからです。
盲導犬として私と歩み始めたエドには、今思えば厳しい環境を強いてしまっていました。当時は「犬は外で飼うもの」という考えが主流で、我が家でも大きな犬小屋を用意し、夏も冬もそこで過ごさせていました。職場でも屋外につないで待たせる日々。今ではとても許されないような飼育環境でした。
また、盲導犬としての選別基準も現在とは異なり、エドはよく吠える犬でした。仕事中は静かでも、自宅で犬が通ると吠えるなど、近隣の方には迷惑をかけていたと思います。それでも温かく見守ってくださった方々には感謝の思いでいっぱいです。
思いがけないトラブルもありました。ある夜、食事のときに食べようとしないエドの顔が大きく腫れているのに気づき、慌てて動物病院に駆け込むと、「蝮(まむし)に咬まれています」との診断。車中で苦しそうな声を出していた姿が忘れられません。
そんなエドとの想い出の中でも、ひときわ印象深い出来事があります。1991年、天皇皇后両陛下(当時)が植樹祭で京都に来られた際、関西盲導犬協会を訪問され、ユーザーとしてお迎えする機会をいただきました。皇后・美智子さまが「真っ黒な犬ですね」と声をかけてくださり、私は思わず「この犬、蝮にかまれました」と返してしまいました。のちに皇后さまがやさしく天皇陛下にそのことを伝えられているのを耳にし、お二人の温かさに深く感動したことを覚えています。
エドとは、マラソンコースを歩いたこともあります。西京極から国際会館まで、駅伝で有名な道を、視覚障がい者仲間50人ほどとともに一日かけて歩きました。エドも終点に着いたときには疲れたのか、落ち葉の上に「どさり」と寝そべってしまいました。
今でも悔やまれることがあります。家族旅行で丹後に出かけた際、真夏の照りつける日差しの中、海水浴場まで10分以上歩かせてしまったのです。当時はクールコートも靴もなく、暑さ対策の知識もありませんでした。どんなに暑かったことかと、今でもエドに謝りたい気持ちです。
12歳を迎える前にエドはリタイアとなり、近くのボランティアさんのご家庭で穏やかに余生を過ごしました。ある日、弱ってきたと聞き、訪ねた際に撫でた毛並みの美しさに驚きました。こんなにきれいにしてもらって、本当に幸せそうだと、胸がいっぱいになりました。
エドは、私にとって「最初の盲導犬」である以上に、試行錯誤のすべてを共にくぐり抜けてくれた大切な存在です。多くの反省とともに、深い感謝と敬意を胸に、今もその姿を思い出しています。