2.ハピネス
二頭目の盲導犬は「ハピネス」。名付け親であるパピーウォーカーのAさんによると、パンの名前から思いついたとのことでした。
初代エドが真っ黒なオスだったのに対し、ハピネスはベージュ色で背中にやや茶色が混ざった、撫でると毛並みが細く柔らかくてウエーブのかかった女の子。とても人懐っこく、かわいらしい犬でした。
驚いたのは、吠えることもなくおとなしい性格以上に、排泄方法の革新でした。胴体に巻いたベルトとしっぽの間に袋をぶら下げ、その中に排泄するという方法で、地面を汚すことなく、トイレで処理できるのです。これは訓練センターのH職員の発案と聞いています。決まった時間帯に、ユーザーが「ワン」「ツー」と声をかけて排泄を促す方法は、今では多くの訓練所で採用されています。私は今でも「しっこ」「うんち」と、昔からの言い方で声をかけていますが。
ハピネスも最初は屋外の犬小屋を使っていましたが、やがて室内に入れるようになりました。ただ、当初は室内に入ることにこだわりがありました。一方で職場では初めから室内で過ごし、昼休みになると敷物をリハビリ室の陽当たりの良い窓際まで引っ張って行き、広げてくつろいでいました。休憩が終わると元の場所に戻してくれたら「本当に賢いね」と言えるのに、とスタッフの間で笑い合ったものです。
この子はどちらかというと勝気な性格で、家の中でも引き戸の隙間が少しでもあれば前足で開けようとし、バス停でも人の列をすいすいかきわけて前へと進んでいきました。「どうぞ」と言われたら、「すみませんね」と、その言葉に甘えていた自分がいました。
雪道では、車の通った跡をちゃっかり選んで歩くハピネスの横で、私はざくざくした雪道を歩かされたこともありました。
エドの時代は職場とライトハウスとの決まったルートの往復がほとんどでしたが、ハピネスとはあちこちに出かけるようになりました。全国盲導犬使用者の会では、毎年交流会が開かれており、私も毎年のように参加しました。
山形ではさくらんぼ狩り、岩手ではわんこそば、佐渡島ではたらい船にも乗りました。怖がらないかと心配しましたが、問題なく乗り込んでくれました。新幹線、飛行機、黒部のトロッコ電車にも一緒に乗りました。特に困ることはありませんでしたが、何時間も足元でじっとしていなければならず、狭い空間はハピネスにとっても窮屈だったと思います。
交流会のアトラクションで、犬用のオーダーメイドのダスターコートが当たったこともありました。北海道のボランティアの方がハピネスのサイズを測り、後日送ってくださいました。京都でもボランティアの方々がユーザーの願いを受け止めて「ワンコートクラブ」を立ち上げてくださいました。犬の毛が飛んだり、進退で汚れることを防ぐダスターコートや、雨の日でもできるだけ濡れないように工夫されたレインコートを、1頭ずつ型紙を取り、手作りで制作してくださいました。しかし、後継者不足などの理由から、2025年に活動を終了されました。特にレインコートづくりは大変だったと伺っています。
ハピネスはパピーウォーカーのAさんの家庭で余生を過ごし、15歳で亡くなりました。火葬の際には、リタイアボランティアのAさんご夫妻とともに火葬場に向かいました。その際、Aさんが火葬にかかる費用を負担されていることを知り、私は協会の役員会で「協会として今後の対応を考えてほしい」と申し出ました。その後は、協会が責任を持って対処してくださるようになりました。