拒否事例として:医療機関

【事例2】医療機関での盲導犬受け入れ拒否から見えたこと
― 火種を見逃さず、社会を変える炎へ ―

1.最初のきっかけ ― 紹介状と不安

市立病院の医師に紹介状を書いてもらい、私立の病院への診察予約が決まりました(9月17日予定)。しかし、万が一盲導犬の受け入れを拒否されることがあってはならないと考え、関西盲導犬協会に打診してもらうよう依頼しました。

協会からの返答は9月10日。病院側の意向として「犬嫌いの患者もいる」「1%でもリスクがあれば避ける」との回答。そして、協会の啓発担当職員は「当日は外で犬を預かっておく」と通知してきました。

2.当日の受診(9月17日)と私の決断

当日、盲導犬は外に預け、私は診察を受けました。しかし、次回予約の際に「盲導犬ユーザーであることは伝わっているか?」と尋ねたところ、「事務長から聞いている」との形式的な返答のみ。受け入れられたわけではなく、私は予約をせず、そのまま盲導犬と帰りました。

3.病院対応への不信と、広がらぬ対話

私は協会職員に対し、パンフレットを送るだけでなく、直接病院に出向いて対話してほしいと要望。しかし返ってきたのは、「京都府病院協会などと今後連携し、アプローチを考えたい」という“思案中”の段階の報告。私は思わず、「まだ“思っている”段階なのですか」と返しました。

京都府には「共に安心していきいきと暮らしやすい社会づくり条例」がありますが、そこでも実効性ある対応がなされる気配はありませんでした。

4.マスコミへの訴えと社会の反応

地元新聞のF記者に連絡し、取材を依頼。記事は11月21日に「患者の盲導犬同伴 病院が拒否」として掲載されました。記事では、協会が京都市に相談し、市が病院に補助犬法の趣旨を説明したにもかかわらず、受け入れが拒否された経緯が紹介されました。

Yahooニュースに転載され、千件を超えるコメントが殺到。中にはアレルギーへの配慮意見もありましたが、圧倒的に病院の無理解を批判する声が多く、問題の本質に注目が集まりました。

5.他病院との対比と“見えてきた構図”

一方、N病院(上京区)やK病院(北区)では、過去に盲導犬を受け入れた好事例があり、事前調整や院内周知によりトラブルは発生していませんでした。

この対比が示すのは、「できる病院もある」ということではなく、“やろうとしない側”の無理解や回避の姿勢が、制度の限界を助長しているという現実です。

6.波紋とその後の対応

記事により、病院は“形式的”ながらも「受け入れる」と表明。しかしその中身は、「通常診療時間外に救急口から入って診察する」という限定付きの対応で、依然として“例外扱い”に過ぎませんでした。

この件により、全国盲導犬使用者の会(全犬使会)とも連携し、オンラインミーティングを実施。参加者には、当事者(私)、会長・役員、関西盲導犬協会、日本補助犬情報センターなどが名を連ねました。

7.見えてきた問題の本質

この経験を通して、以下の点が明らかになりました:

  • 当事者が声をあげなければ、社会は動かない。
    「貸与されているものだから仕方ない」と黙ってしまえば、社会は何も変わりません。
  • 制度や団体の動きが遅く、当事者不在で話が進められる危険性がある。
    協会や行政の“慎重さ”は、初動を遅らせ、当事者の現実とずれていきます。
  • “好事例”ではなく、“拒否された事例”こそが火種であり、社会を揺さぶる力がある。
    拒否という摩擦が社会に可視化されることで、無関心な人々にも問題の本質が伝わります。私は、火種を起こすことが変化の第一歩であると考えています。
  • ネットやメディアを通じた“炎上”の力は侮れない。だが、それを一過性で終わらせてはならない。
    拒否事例は注目を集めやすい反面、風化も早い。そこで立ち止まらず、制度や社会の仕組みが変わるまで、燃え続ける“炎”にしていく必要があります。

結びにかえて ― 火種を灯し続けるということ

今回、私は個人として行動を起こしました。しかし、本来これは私一人の問題ではなく、制度や社会のあり方に問われるべき問題です。

今後問われるのは、関係団体や行政が、この火種をどう受け止め、継続的な社会の仕組みづくりに活かすかという姿勢です。

火種は見えにくいところにあります。だからこそ、誰かが声を上げて「そこに火がある」と示さなければ、社会は気づきません。

私はこれからも、そうした火種を見逃さず、伝えていきたいと思います。

 

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