知ること・それが理解への第1歩 (5回)

      本人に話しかけてください

 家人と一緒に外出しようとバス停で立っていると「この犬何歳ですか?」と家人に問いかけてくる人が多い。私の耳に届くような声で尋ねておられる場合は「8歳になります」と私が答えるようにしているが、「名前はなんというのです?」などと特に答えることのない内容については家人に任せている。

 病院の診察室でも初回のときはおうおうにして傍にいる家人に問いかけることが多い。

 アイコンタクトが取りにくいからではないかと家人はいうが、それだけではないような気もする。傍にいる者を保護者として位置付けている場合もあるのではないか。

 家人が外出していて宅配便を受け取りに出ると、丁寧というか子供にいうように品物を手渡す者もいる。

 世間では、「見えないこと」は、成人としての能力をほとんど損失してしまっていると思っているのではないか。とても同じ成人どうしとは思えない動作や言葉遣いで対応されることが日常の中でもある。直後血圧はかなり上がる。

 見えている者が日常的に行っていることでも、私がすると「すごい!」と言われることがある。できないはずのことがどうしてできるの?という驚きがあるのだろう。

 それだけ「見えない人」に接することもなく、そうしたことについての情報も何ら提供されることなく、別世界の存在になっているのだろうー

 近隣を一人で歩いているときには特定の人からの声はかかるが、通り過ぎる人の気配はあってもそうそうに声はかからない。

家人と一緒に歩いているとはるかに多くの人と出会う。

「見えない」人には、「見える」人から自然に声をかけていく。そうしたことが当たり前にできるようになることで別世界の人出はなくなる。

 小学校へお話に出かけたさいの感想の一つに、

目の不自由な中,ふつうに生活しているところがすごいと思いました。

というのもあった。

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