目の提供とは?
見えている人が見えない人をサポートしようとする時、どうしても「体ごと支えなければ」と思われがちである。
ある日の病院内での一コマ。
レントゲンの順番が来て、名前が呼ばれる。こちらから「腕を貸してください」と声をかけ、技師の上腕の後ろを持たせてもらって部屋へ入る。
しかし、ドアの開閉をしているうちに、いつの間にか、私の腕が技師に握られている。脱衣用のカゴの近くに連れていかれたようだが、どちらの方向にあるのかわからない。「右前方にカゴがあります」と言ってもらえたら、わざわざ時計とメガネを職員に手渡すこともなく、自分で上着と一緒に置いておくことができる。
「着替えはできますか?」と言われて、ちょっと唖然とする。
今度は後ろから押すようにして前へ進む。「右を向いてください」と言った後に、「2歩ほど後ろへ下がってください」と言う。
思わず「そこにベッドがあるのですね」と返す。このような場合、最初から「左前方にベッドがあります」と伝えてもらえたら、何の不安もなくベッドに近づくことができる。
また、これは人それぞれで、気がつくかどうかの違いだろうが、ベッドから起き上がって靴を履こうとする時に、もし靴が動いているようなら、下ろした足先に触れる所に並べて欲しい。わざわざ手を添えて履かせてもらうことはない。
要するに、見えないということは、不慣れな場所の場合、何処に何があるのかがわからない。その位置関係を言葉で説明してもらえたら、ほんの少しのサポートで十分である。手助けが少なければ少ないほど、自然に動くことができる。
逆に、説明が不十分なほど手を添える頻度が多くなり、関わってもらう立場としては、抵抗感が増すことになる。
物理的に手助けしてもらうよりも、情報を適格に伝えてもらえることで「見えない」という「障がい」をあまり感じないで過ごすことができるのである。